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「何者かになりたい」と思うのは偏った価値観が原因だった

浜辺で悩む女性 楽になる考え方

自分は結構頑張ってきたはずなのに、なんだか不足感がある。

何者かになりたいのに、結局何にもなれてない。

そんな人は結構多いのではないでしょうか。

「Aちゃんは東大に行って卒業後は起業して活躍してるのに私は……」「あのママ友は資格を取って今はバリバリ働いてるのに私は……」「いつも何しても続かない私は何物にもなれないのかな」

挙げればキリがないと思います。

でも、本当にあたなは何物にもなれていないのでしょうか。そもそも、なぜ何者かにならないといけないと思うのでしょうか。

今回は、「何者かになりたい」と思う原因と、そんな人がちょっと楽になる考え方についてお伝えします。

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どんな優秀な人でも実は「何物にもなれていない」と思っている

「何者にもなれない」という漠然とした不安を抱えていた私は、先日こんな本を購入してみました。

「何者かになりたい」

私が今感じている悩みそのものがタイトルになっていたので、即買いしてしまいました(笑)

さっそく読んでみると、冒頭でこんなことが。

東大生は、他大学の学生からは何者かになっているように見えるかもしれませんが、東大キャンパスの中では何者でもない、ただの「ワン・オブ・ゼム」でしかありません。東大に入るまで秀才と持てはやされ、受験勉強でアチーブメントしたつもりの学生でも、東大の内部では平凡な一人でしかないのです。

「何者かになりたい」精神科医 熊代亨 著(イースト・プレス)

私からしてみれば、東大生に入ればエリート街道まっしぐらで、何者かになれたも同然なのかと思っていました。

でも実際は、東大に入ったら自分より優秀な人は山ほどいて……。今まで優秀だと思っていた自分がそうでもないことを知って落胆する人は多いそうです。

特定の集団の中にいると自分よりできる人はたくさんいて、「自分はなんて無力な人間なんだ」「自分は何にもなっていない」と思ってしまいがちなんですよね。東大生だってそれは同じなんです。

自分の見ている世界が狭すぎて、その世界がすべてだと思い込んでしまっている。だから、その世界でハイレベルの人と比較して落ち込んでしまうんですよね。

もしかすると、あなたも同じではないですか?もしかしたら、今いる集団の外側の世界や、ここまで来た過程を見逃しているのかもしれません。

私もそういうことが多々あります。私はライターをしていますが、ライターなんて数えきれないほどいるし、活躍している人と比べたら私なんて屁でもない存在です。それで勝手に落ち込んでしまうことがしばしばあります。

でも、ライティングの世界にいない人からすれば、「自分で勉強して仕事取ってこれてすごい」「文章でお金を稼げるなんてすごい」と思ってくれるかもしれません。

周りと比較すれば能力はまだまだ低くて、「ライターと名乗っていいのか……」と思うこともありますが、ここまでの過程を見つめ直すとライターという者になれているのかなとも思えます。

私に限らず、自分は何者でもないと思っている人は、実は何かしらになっているのに自分を認める力が低すぎるだけなのかもしれません。どんなにステップアップしても「まだ何者でもない。あの人に比べたら」と思ってしまっているだけなのではないでしょうか。

「何者かになりたい」と思ってしまう根本的な原因

そもそも、あなたはなぜ自分が「何者かになりたい」と感じているか考えたことはあるでしょうか?

書籍「何者かになりたい」では、「何者かになりたい」と思う原因をいくつか挙げています。その原因の一つに、「誰かに認められること=何者かになれた」という価値観があることを取り上げているのですが、そのような価値観は危険だと伝えています。なぜ危険なのでしょうか。

確かに、誰かに認められるとその瞬間はとても嬉しくて、目指す者になれたような気がするかもしれません。ですが、人から認められることで舞い上がる感情は持続しません。そのような感情は麻薬のようなもので、認められた瞬間は気持ちよくても、すぐにその気持ちよさは失われてしまいます。そのため、また気持ちよくなりたいと感じて、また誰かからの評価を求めてしまい、結局何者にもなれていない不足感が残ってしまうのだそうです。

私も似たような経験をしたことがあります。SNSで「こんな仕事を受注できた!」と投稿をして、フォロワーから「すごい!」とコメントが付くと、「やっと人から認められるような仕事ができるようになった」と何者かになれたような気分を味わえました。しかし、同じような投稿をしても何もコメントが付かないときは、「私なんか誰からも認められてない」と落ち込むのです。人の評価次第で一喜一憂してしまう私は、まさに「誰かに認められること=何者かになった」という偏った価値観を持っていたのだと思います。

これでは当然、人から評価されなければ何者にもなれないので、いつまでも不足感がつきまとうはずです。

しかし一方で、「何者かになりたい」と思わない人もいます。そんな人たちは、いったいどんな考え方をしているのでしょうか。

「何者かになりたい」と思わない人こそ何者かになっている

書籍「何者かになりたい」では、「何者かになりたい」と特に思ってない人の特徴について、次のように伝えています。

何者問題を意識しない人の典型は、「自分とはなにか」を考えるまでもなく、その場その場の人や場面に合わせ、なんらかの役割を引き受け、居場所を獲得できている人です。そういう人は、他人から自分がどう見えているのか・どう評価されているのかを気にする素振りもありません。

「何者かになりたい」精神科医 熊代亨 著(イースト・プレス)

なるほど。特に人からの評価も気にせず、今やるべきことに集中していて役割を全うしている。だから、結果的に「何者か」になっていて不足感が残らないということでしょうか。

一方で、何者かになりたい人は誰かに認められたくて行動している。だから、認められないと自分の居場所や立場を獲得できず、いつまでも何者かになれない……。

つまり、承認欲求こそが自分を苦しめているということになります。

承認欲求を満たすために「何者かになる」のはやめて、今の自分を認めてあげることで、もうすでに自分は何者かになっていることに気けるかもしれません。

しかし自分を認めてあげることは、結構むずかしいものですよね。そんな方には、幼いころに植え付けられてしまった考え方を見直すことで改善できるかもしれません。こちらの記事も参考にしてみてください。